近代国家の誕生2
「国民」という概念
「国民」という概念は近代社会の産物です。この概念が生まれた背景の一つには国外との緊張関係が挙げられます。外部との軋轢が国家としての凝集力を生み、「国民」を誕生させた面があるというわけです。19世紀における帝国主義の動きもこれに関係しています。国家は外部の敵の存在を国民に誇大に強調することで民族の固有性、時には優越性までも鼓舞し、他国の侵略を正当化しました。
資源の収奪による産業の発展の要請が次第に強まり、国家間の戦争も頻発し、かつ、規模も大規模なものになっていきました。
近代における帝国主義は、古代におけるオスマン帝国やマケドニア王国のように領土を巨大化する過程で、外部から資源を収奪することで発展する統治機構です。外部との軋轢を解消する手立ての一つである、自組織の社会システムを外部に染み渡らせる戦略を強力に推し進めるものです。染み渡らせる社会システムとは、たとえば文化であり、宗教であり、経済であり、民族主義であったりします。
学校とは国民を再生産する社会装置のことである
国家の内部構成員による反逆の芽を事前に摘み、逆に国家の発展を支える駒として活用するには、国民国家の同質性を作り出すための新たな装置がどうしても必要でした。近代になって国民すべてに義務教育を施す「学校」が出てきたのはそのためです。近代国家設立当初、多くのヨーロッパ諸国において、国民が話す言語はバラバラでしたし、字を読める国民はほんの一握りでした。国家の一体感を醸成するためにも、国家を発展させるための産業を支える国民を育てるためにも、言語の統一や識字率の向上な極めて重要であり、多大な公費を投入しても行うべき価値があったのです。
なお、「国民」「国家」「民族」の具体的・実定的なイメージを象徴する様々な伝統もまた、実は近代国家形成期に創出されたものにほかなりません。これらの概念は元からあったのではなく、近代になって作り出されたものです。そして、同時に民主主義や国民主権の理念が浸透してきました。
「文化」を擬人化して考えてみる
帝国主義の国家からみれば、国家がそれ自身の意思で文化を広げようとしているのですが、これを「文化」の立場でみればそれ自身が広がろうとしているのです。なぜならドーキンスが指摘する通り、文化は「ミーム」だからです。民主主義や資本主義も固有の文化であり、その文化の「いいね」が広がれば、文化を利用する人が増えます。皆が支持しやすい文化は広まりやすいです。支持しやすい文化とは生理的に受け入れられやすい生活ルール、生存原理(生きる意味)と整合的で、生活ルールを生み出す源となります。
なお、文化には2タイプあり、ひとつは伝統文化(形式化された文化)で今ひとつは現在進行形の生きた文化です。ここで言及している文化とは後者のことです。
第2次世界大戦後にアメリカが主導し、世界に普及を働きかけた民主主義という「文化」は、日本人の生活にも大きな影響を及ぼしました。