近代国家が生み出したもの

都市の誕生と進化

近代国家誕生に特徴的な変化の一つは、都市が重要な役割を担うようになったことです。前近代は財を生み出す場である農村こそが社会の中心で、市(いち)は人が離合集散するアドホックでテンポラリーな場にすぎませんでした。いわば余剰の掃き溜めであり、統治のエアポケットだった市が定常化し都市となり、社会生活と産業と国家の運営の中心になったのです。
食料生産の効率性が高まり、農村の労働者が過剰になり、都市に人が集まりました。人が集まることで都市生活を支えるための新たなモノやサービスが生まれ、産業や経済が成長することで雇用の場が拡大し、さらに人が集まっていきました。都市部への人口流入と都市経済の拡大との関係は相互に因果関係を持ち、ループしています。やがて、世界の国々で数百万人規模の都市が生まれていきました。

都市の成長が第三次産業を成立させた

近代都市の誕生と発展は、雇用者を生み出し、第三次産業を生み出し、都市生活なるものを生み出しました。そこにはもはや封建的な土地に縛られた人間関係は存在せず、個人の集まりにすぎなくなりました。そこにあるのは、法というルールに基づいた集団生活維持のためのシステムです。

行政活動の肥大化と福祉国家化

近代初期は、国家は外に向かった動きが主であり、内部にはいわゆる夜警国家に代表されるように、社会への干渉や支援は、どちらかといえばあまり行うことは望ましくないとする自由主義的な意識が浸透していました。
これに変化が生じたのは20世紀にはいってからであり、最初の芽の発生源はイギリスでした。
アダムスミスのいう神の見えざる手に委ねた市場はやがて富むものと富まざる者を作り出していたためです。
格差の拡大による貧困層の増大に対して、ヨーロッパの場合は、初めの頃はキリスト教が作り出した教区単位の支援システムが有効に機能し、貧困層の救済に当たっていたのですが、経済活動が生活に及ぼす影響が強まる中で貧困層の拡大と宗教による救済システムの弱体化が進み、宗教が人々の生活や人生に及ぼす影響が薄れ、都市化の変化を受けて人口流動が高まることで、地域の絆は弱まり、社会治安の悪化が目に余るほど進んでいきました。

それまでは「貧困」は本人の問題とされてきたのですが、次第に貧困は社会によって作られるとの観念が生じ、イギリスにおいて人類初の福祉国家が誕生します。「ゆりかごから墓場まで」という言葉は、国家が担うことになった新しいミッションを端的に言い表しています。
国家と一口にいっても、米国のような、極力、個人や企業の自由を尊重し、政府の関与は最小限に抑える政府と、医療も介護も将来、歳をとった際も、経済的に困らない社会を約束する(その代わり、徴収する税は高いですが)北欧諸国に代表される政府までさまざまですが、貧困が個人の責任のみに帰せられる問題ではないとの認識は、近代以降の国家は共通して持っています。
現代社会においては、社会保障や社会福祉を国家が国民に対して行うべきことであると考えられていますが、実際、政府総支出に閉める社会的支出のウエイトは多くの国において高まっている傾向が見られます。福祉国家化は着実に進んでいるといえます。