非婚社会が到来する?
結婚しない男と結婚しない女
結婚をしない若者が増えていますが、「動機」に着目するとこの層は二つのグループに分かれます。一方は結婚したいけれど何らかの理由で結婚できていないグループ、もうひとつが結婚できなければしなくてもよいと思っている層です。 結婚したいかと問われれば、結婚したいと答える人は多いですが、その強さ、切実度には大きな個人差があるのではないでしょうか。前者に対しては結婚できない制約をなくす、ないし少なくすることで、確かに政府が言うように少子化の改善にプラスに働くでしょう。しかしもう一方の層には響きません。要は結婚に魅力や希望が持てないのです。 出生動向基本調査によると未婚者が独身でいる理由としては「適当な相手にまだめぐり会わない」が最も多いです。 でも、出会いの機会を増やせば結婚するかといえば、そうとは言えません。結婚することへの切実度は下がってきているからです。
人生の中で必要条件でなくなった「結婚」
結婚とはそれまで別々の人生を歩んできた二人が生計をともにし、残りの人生においてふりかかる困難を一緒に乗り越え、幸せを分かち合う運命共同体となることです。 独身でも生きられ、それなりの楽しみを見つけられる現代社会に生きる私たちは、なぜあえて結婚によって生じる負担やリスクをとりにいかなければならないのかと自問することができます。そこまでして一緒に暮らしたい相手なのかを深く自分に問うことのなかった時代、すなわち一定の年齢になったら誰もが結婚するもの、という「常識」があった時代には想定もされなかった意識が、このような問いを可能にしているのです。若者の意識を結婚に向かわせる上で、多少の育児費用を国が出す程度では残念ながら効果は薄いです。まして賃金が伸び悩む中で、子どもを持つことによる住宅費やその他の生活全般の費用の増分と教育費を賄うことができるのかを考えると、結婚による充実感や幸福感を享受するメリットよりも、その生活を維持し続けることはできるのか、という結婚の負の側面の方がますます際立ってきています。
少子化問題は経済問題
お金の問題は出産行動にも影響を及ぼしています。 理想の子ども数を持たない理由として夫婦の6割が「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」と答えており、他の選択肢の回答割合を大きく引き離しています。
一人目を生む年齢の平均は30.4歳(「4-19出生順位別にみた年次別母の平均年齢」(人口動態調査))と晩産化は進むばかりです。30歳以下の理想の子どもを持たない理由を大きい順に三つあげると、「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」「自分の仕事(勤めや家業)に差し支えるから」「家が狭いから」が上がっています。(一方、30歳以上では、健康上の理由からなどの年齢・身体的理由や、これ以上、育児の心理的、肉体的負担に耐えられないからなどの育児負担の回答割合が高いです。) 子育て費用と教育費用がまとめて問われているため、どちらがより大きな理由かは不明ですが、子どもにかかる食費や医療などの生活費を除くと、幼稚園から大学までの教育費は出産育児費用の10~25倍(一人当たり1,000万円~2,500万円、100万円程度)であり、主に教育費の負担感が大きいと考えられます。
ところが、政府が力を入れているのはむしろ保育や子育てにかかる費用の軽減であり、この点でも投じるべき政策のバランスに疑問符がつきます。むしろ、教育コスト(とくに高等教育)の負担を減らす取り組みを重視すべきではないでしょうか。
政府の目標を達成できても人口は減る
平成28年6月2日に閣議決定された「ニッポン一億総活躍プラン」では、2025年度までに合計特殊出生率を1.8にする目標を掲げています。この「1.8」という値は、日本創成会議・人口減少問題検討分科会が平成26年5月8日に出した提言「ストップ少子化地方元戦略」における算定根拠がベースになっていると推測されます。ここでは次の計算式を示しています。
希望出生率=
(既婚者割合×夫婦の予定子ども数+未婚者割合×未婚結婚希望割合×理想子ども数)×離別等効果
1.8≒{(34%×2.07人)+(66%×89%×2.12人)}×0.938
計算に使われている項目を見ると、この値が高めに見積もられている数値であることが分かります。まず未婚者の理想子ども数は国立社会保障・人口問題研究所が独身者に対して実施したアンケートの結果から取っていますが、その問いは「あなたは、子どもは何人くらいほしいですか。」というものです。子育てにかかる負担などを踏まえていないので、制約条件無しの最大値といえます。結婚希望割合も同様で結婚にいたるハードルや制約条件を無視した数値で未婚者の89%が結婚するようになることを意味するわけではありません。いわば理想的な仮定値であって、実現性を期待しうるものとはいいがたいです。 理想が実現できないのは現実社会の中に何らかの制約があるからと考え、それが取り払われれば理想の子ども数は実現するという論理です。しかし、例えば商品企画の段階の購入意向調査で「買う」と答えた人全てが、商品が生産されて店頭に並んだ時点で購入するわけでありません。まして「理想」とはあらゆる現実の制約条件が図ったと仮定した場合の解であるから、実現しない仮定の話に対する回答です。 加えて、人口置換水準を割り込んでいるので、たとえこの値を達成できても、1億人で安定することはありません。「人口置換水準」とは一人の女性が一生の間に産む子どもの数が2.07を上回る状態を意味します。それができなければ、人口は下げ止まらず、仮に国際で財政出動を行い、少子化対策を講じても、債務が膨らむばかりでそれを返済するための税収は減り続けます。 生涯独身の人もいれば結婚しても子どもの持てない夫婦もいる。となるとそれ以外の既婚者は「子どもは3人いるのが普通」という社会を実現する必要がありますが、これは難しいでしょう。 効果が不明であるにもかかわらず、財政支出を拡大させ、収支バランスを悪化させる方策を選ぶことは、少し厳しい言い方をするなら国家運営における責任ある態度ではありません。昨今の少子化対策の重要性に関する議論に水を差すようで申し訳ないですが、単に費用対効果を考えるなら、少子化対策はもっとも適切でない政策の一つと言えます。ますます少なくなる未来の子どもたちの税負担が高まってしまいます。
「未婚者が主流となる社会」を前提とした経済・社会づくりを
「人口ピラミッドがひっくり返る時」の著者ポール・ウォーレスは「われわれはまた、人類史上初めて、資源が下流の若者に降りていかずに上流の老人に向かって流れる社会を創出した。」「現在の社会体制は、中年期を迎えた人々に仕事を詰め込むようにできているので、子育てが一層の重荷になり、ひいては人口革命の発生を助長することになる一方、中年を過ぎた人々にはうんざりするほどの余暇を与える結果をもたらしている。」と述べています。(ポール・ウォーレス、2001) この記述の中に、少子化を引き起こす本質的な要因が端的に示されています。 子ども一人を育て上げるのに、食費や衣料関係費などの基本的な生活にかかる支出を除いたとしても、子育てや子どもの教育には生涯で少なくとも3000万円程度の費用がかかります。毎年100万人ずつ生まれているので、仮にこれらの経済的負担をゼロにするため政府が二人分の子育て費用を子育て家庭に全て渡す政策を実施したとしたら、年間60兆円ものお金が必要になります。これは1年間のわが国の税収を上回っていますので、現実的でないことは明らかです。 しかも、結婚しているすべての人が2人の子どもを育てても、独身者もいるため、人口の減少を抑えることはできません。 さらに、たとえこのような多額の費用を政府が支出できたとしても、お金を渡せば結婚や出産に直結するとは限りません。先に見てきたように、結婚を望まない層もいるからです。「少子化問題が経済問題である」というのはあながち間違いではないですが、経済問題を解決すれば少子化問題が解決するわけではないのです。

経済力の不足や経済的な負担感が結婚や出産の最大の阻害要因であるように思われていますが、本当にそうでしょうか。この発想について気になる点は二つです。一つは、経済負担を軽減する等の行政支援を財政的に行うとしたら、当然国民(企業を含む)からの税が原資になりますが、未婚の若者や若年ファミリー層などを対象に経済支援という「投資」をしたとして、その結果としての出産増が、将来の労働力を増やすことで得られる税収の増分、すなわち「回収」が投資費用を下回るのであれば、縮小均衡して財政は破綻します。また、仮に結婚や出産の最大のハードルであるお金の問題が完全に解消されたとしても、子どもを産むとは限らないという点であり、こちらの方が本質的な問題です。 問題の根本は「お金」ではなく、結婚や出産が“選択的な行動”になっているという点にあります。
さらに申し上げれば、お金がかかるから結婚や出産を控えるのであれば、所詮、結婚や出産は現代の私たちにとってその程度の行為なのです。もし、それがいいすぎとしたら、人は結婚して、子どもを産むのが当然とされていた時代に対し、現代では「人生選択の一つに過ぎなくなっている」ために、少子化対策が目に見える形では効果を生み出せていないのです。 政策によって子どもを増やすことが不可能ではないにしても、極めて難しいという前提で、未婚者が主流になる社会を想定し、その上でも持続的に社会と経済がうまく回っていくにはどうしたらよいか?という論の立て方をすべき時を迎えているのではないでしょうか。