近代国家の誕生

前近代における国家は宗教が支えていた

近代国家以前には、明確な主権国家は存在していませんでしたが、その兆候は中世の後期に現れ始めます。この頃になると権力の源泉を神におく王権神授説を掲げた王が統一国家を作り上げました。ただし、王の権力はギルドや都市などの中間集団に特別な権限を付与することで成り立っていました。統一国家を維持するためには強大な常備軍隊を持つ必要があり、このために多額の費用を必要としました。

重商主義

そこで、国家が貿易により国の富を積極的に増やそうとし、重商主義の経済政策が採用されました。また、徴税力を高めるため、領主ではなく国家による徴税が進み、身分制が揺らぐようになりました。領主の支配力が弱まり、人々に国民意識が芽生え始めます。
さらに、市場経済が発達し、産業が発展する中、ブルジョワ層の力が増してくると、階層社会に対する不満が高まり、ついに市民革命が起きます。

近代国家の誕生

「政治」は善い社会を作り運営するために、社会に働きかけを行う一方で、「社会」は望ましい政治の姿を編み出してくという意味で両者は相補関係にあります。
そして、国家は安定性を高める方向に“統治の仕方”を、具体的には“権力の持たせ方”を変化させてきました。
貴族共和政、民主共和政、君主政、立憲君主政、帝政、天皇制など、さまざまな権力の持たせ方が考案され、実践されてきましたが、ここ数百年では国民国家という形態が主流になりました。
この形式は、第一に領域(領土、領水、領空)が明確に区切られていること、第二に人民が政府を樹立していること、第三に権力は、対外的・対内的に排他的に行使されるという特徴があります。
簡単に言えば国家のモデルは「人」であり、まるで一個の人格を持つ個人のように外と内を区別する明確な領域(皮膚)、相互に連携しそれぞれの役割を担う小集団や組織(細胞や臓器)、主体的に行動するための意思(脳)を持っています。
このような意味での「国家」は近代という時代背景が生み出したものであり、まだ、高々400年の歴史しかありません。例えば前近代社会においては、先の“人”を統治機構のアナロジーとしてみた時、それぞれの臓器が別々の意思を持ち、勝手に動くというような、自立性や独立性が、国家内部に見られることもありました。日本の藩や中世ヨーロッパの封建国家がその例です。私たちが一般に描く国家のイメージは人類の長い歴史から見れば特殊な一形態に過ぎないのです。