矮小化されてきた少子化対策

 

少子化議論は今に始まったことではない

少子化にまつわる議論は今に始まったわけではありません。我が国の少子化対策は、いわゆる1990年の「1.57ショック」から本格的に開始されました。丙午(ひのえうま)という特殊事情で一時的に低下した合計特殊出生率を下回った年であり、人口減少社会が重要な社会課題であると認識されるようになりました。

なお、1.57ショックとは、前年(1989(平成元)年)の合計特殊出生率が1.57と、「ひのえうま」という特殊要因により過去最低であった1966(昭和41)年の合計特殊出生率1.58を下回ったことが判明したときの衝撃を指している、と内閣府作成の書類には記述されています。

実際には、1997年1月に発表された「日本の将来推計人口」により、少子化が現実のものとして受け止められることで、人口問題審議会から「少子化に関する基本的な考え方について-人口減少社会、未来への責任と選択-」が出され、これを受け、翌年の1998年12月21日に首相官邸に設置された「少子化への対応を考える有識者会議」において「夢ある家庭づくりや子育てができる社会を築くために(提言)」が出されました。

実はこの時点で、すでに今につながる少子化対策の方向性はほぼすべて打ち出されています。

狭義の少子化対策は厚生労働省の所掌事務と重なる

大きくは「働き方に関する事項」と「家庭、地域、教育のあり方などに関する事項」の2つに分かれており、前者では男女の固定的な性別役割分業の見直しを図ること、多様な働き方を可能にすること、労働時間の縮減、企業における育児支援などが掲げられています。

少子化対策については、これまで法律が3つ制定され、その他、「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について(いわゆる「エンゼルプラン」)」、「重点的に推進すべき少子化対策の具体的実施計画について(いわゆる「新エンゼルプラン」)」をはじめ、1994年から2013年の20年間に、「プラン」、「方針」、「プロジェクト」、「対策」、「指針」、「作戦」、「大綱」、「要綱」、「ビジョン」なるものが14出来上がりました。名称は異なりますが、どれも似た内容と位置付けのものです。省庁横断的に打ち出され、理念やめざすべき方向性、検討される領域は保育に限らず、教育、雇用、住宅など幅広く位置付けられてはいるものの、具体的な取り組みとしては、その数と事業規模をみる限り、その大半が厚生労働省、とりわけ旧厚生省が所管する施策・事業となっています。つまり、我が国の少子化対策の実態は、ほぼ「児童福祉政策」として位置付けられています。

近年、地方創生の動きの中で、また、人生100年時代に光が当てられる中で、教育政策など、より広い視点で捉えられつつあります。