幸福感と少子化の関係
究極の少子化対策は幸せに暮らせる国づくり
出生率と幸福感には緩やかな相関関係があり、わが国の場合、幸福感を感じられないことが少子化を促進している面があります。
OECD35カ国における合計特殊出生率と幸福度の関係を見ると、日本は少子化が進み、かつ、幸福度が低いグループ(左下)に属しています。これからは、「国民が幸せを感じられる国づくり」と「若者が結婚や子育てに希望の持てる国づくり」の両立をめざしたいものです。
自己実現を重視する個人主義的な欲求に変わる、「新たな幸福感」の感情を開発しないと、根本的には少子化問題は解決しないものと考えられます。しかし、意図的に幸福感を開発することは非常に難しいですし、たとえ行えたとしてもそれが社会的に正しい行為なのか何とも言えません。
貨幣価値への換算が難しい物やコトに価値を見出す文化=ミームを広げることにより、経済軸とは全く異なる次元が社会システムに持ち込まれ、経済価値は相対化され、生活の豊かさに奥行きを持たせられる可能性はあります。しかし、意図的にこのようなミームを広げる必要は、もはやないかもしれません。これまでは、お金持ちになる、すなわち経済的な成功を重んじる傾向が主流でしたが、経済が低成長を迎えた今日、あるいは仮に0成長時代に突入し、経済は成長するものではないとの意識が一般化すれば、ますますいやがおうにも貨幣価値に換算できない価値を希求せざるをなくなるからです。また、周囲の人に信頼され、認められる(ソーシャルキャピタルの向上)ことに価値を置く意識は、言語や文化の異同を問わず、同じ価値観を持つ人たちに囲まれて生きる意識に変化するかもしれません。
幸福感のミーム
生き残りやすいミームとは、社会集団にプラスの価値を持つ行動を選択させるミームで、幸せ感とは、ミームが作り出す心の働きの中でもとくに重要なものです。
幸福の概念が文化によって異なるのは、文化が求める社会規範、社会発展の方向が異なるからです。幸福感は文化の関数(幸福感=f(文化))ということです。
強権あるいは宗教でなくても社会を維持し、人々を統合できるため、基本的人権、自由、平等、博愛、公正、民主主義などの近代思想=文化が生まれましたが、これらは近代国家に生きる国民が幸福を手にするための前提です。
ところが、これらの観念はいずれも、まるで、人間一人ひとりを原子に見立てるかのように「人」を等価なものと捉えることで成り立ちます。
これらの概念が生まれる近代という時代はデカルトの『方法序説』に示される還元主義が広まった時代でもあります。世界を一つの機械に譬え、複数の部品(原子)によって構成されるものであり、原子の振る舞いを理解できれば世界全体が理解できるというこの考え方は、人間もまた世界を構成する部品との発想につながります。個人に切り離し自律性を持つ主体として位置付けることで、上にあげたような文化的観念が出てくるのですが、同時に個人主義を生み出し、利己主義を助長し、人々を孤立化させても来ました。そのことが、心の病をもたらす遠因にもなっています。
これから先の幸せ感情は、個人主義で満たされない欲求を社会的に問題のないように実現できる機制と言えます。