少子化の真の原因
人類の歴史の大半は「家による結婚」だった
そもそも永い人類の歴史を振り返ってみれば、人類にとって結婚は個人的な行為というより社会関係における行為であった期間の方が圧倒的に長いです。まず、太古の昔は“部族のための結婚”です。結婚は本人の意思ではなく、氏族の族長同士の話し合いないし取引の結果としてなされました。つまり、結婚は個人の人生選択ではなく、部族の維持発展のために行われていたといえます。一夫一妻ではなく共同婚が行われている社会も見られました。時代が下り、文明が発達してくると「家」が結婚の主導権を握るようになりました。家同士の結婚であり、結婚当事者ばかりか双方の親族間の付き合いも重視されました。わが国でも今日では他の先進諸国と同様、恋愛結婚が主流となっていますが、戦前はお見合い結婚が大半でした。適齢期の男女がいると、近隣住民などの地域社会や知り合いを通した縁談話が持ち込まれることも多く見られました。高度経済成長期にはまだ女性が生涯働くのは特別で、結婚して寿退社するのが一般的でした。入社しても数年で辞めるのであれば、会社側は女性社員に対して真剣に人材育成を行おうとしませんし、本人もキャリアを積むより、お婿さん探しに精を出すことになります。適齢になった女性の上司が、良い人を紹介するといったケースも見られました。
結婚適齢期が死語になった理由
このように、これまでは結婚に対する周囲の圧力や支援がそれなりに存在していたため、当事者だけが頑張る必要は必ずしもありませんでした。ところが、いまや結婚は個人の行動になりました。「婚活」に勤しまない限り、他人の力はほぼあてにできなくなったのです。
結婚適齢期になった男女がいれば、親族や職場、地域コミュニティなどがつなげる「結婚が社会的行為であった時代」は終わり、結婚は個人的な生活行為となり、子孫を残せるかは自分次第となってしまったことが、事実上、未婚・晩婚を促進しています。
「結婚適齢期」という言葉が死語になり、結婚するのが当然でなくなった今、青年期の発達課題の一つである「新世帯の形成による親からの独立」は、もはや乗り越えるべき課題と認識されなくなっています。
発達課題とは乳幼児期、児童期、青年期といった人生における各ライフステージにおいて人間が直面する生活課題であり、これを的確に解決することで次のステージにスムーズに移行することができるとされています。逆に言えば、青年期に乗り越えるべき課題の一つである社会的自立や社会的役割の達成を実現しないと、壮年期、中年期、老年期と、以降に続く段階に移行し、幸福な発達を遂げることが難しくなります。
結婚が個人化する中で少子化は当然の帰結
結婚や出産・子育てはこのような点でも重要な意味を持っているのですが、上記に述べたとおり、結婚に際して外圧が減るとともに、個人の問題とされてしまった現在、若者は厳しい立場に立たされています。少子化が進むのも当然です。
人類が誕生して以降、小さな生活維持機構の周りに、より大きな機構が生まれ、元の機構は弱体化、形骸化するという動きが見られてきました。狩を行う小集団から部族の集団、農村集落共同体から都市国家、そして国家というように、です。生活維持機構がより大きな枠組みになるにつれて、個人の自由度は高まる方向に向かってきました。自己決定の範囲が広がるということは自己責任の範囲も広がるということです。
このように考えると少子化の原因となっている結婚行動の抑制(非婚化)や出産行動の抑制(非産化)はお金というより、個人を中心に社会生活が組み上げられるようになったこと、つまり「個人主義化」(さらにいえば利己主義)こそが根本原因と考えられるのではないでしょうか。お金の事情とあいまって、個人の幸せを希求するところを主眼に行動選択(お金の使い方を含め)をした結果として、結婚行動や出産行動が抑制されるということです。