封建制と宗教の起こり
中世に移行する古代ローマ帝国
中央集権による司令システムは効率的ですが、一定の規模を超えると外敵からの攻撃に対する防御力、攻撃力の双方が低下します。
古代ローマ帝国は周辺地域を軍事的に取り込み続けていきましたが、あまりに大きくなりすぎたのでしょう。次第に封建制という名の分散統治の仕組みが現れ始めます。
ゲルマン民族などの大移動とともに、ヨーロッパは中世という時代に入ります。中世の統治状況を特徴づける封建制とは、封土の給与とその代償としての忠勤奉仕を基礎として成立する、国王・領主・家臣の間の主従関係に基づく統治システムであり、領主が生産者である農民を身分的に支配する社会経済制度です。中世では国家の統治者と領主が並存し、支配 ― 被支配の関係は重層的でした。
中世人の人生と一体化した宗教
中世ヨーロッパの統治スタイルを特徴付けるもう1つの要素は宗教です。宗教の起源はおそらくかなり古く、人間が集団生活を始めた頃から、それぞれの集団の中に神の観念が芽生え、少しずつ体系化されていったのでしょう。ただし今日の宗教の原型は中世に出来上がっています。現代における神の存在は通常、それぞれの宗教に対し一者、すなわち一神教ですが、原初の宗教では神は複数、しかも人間の形というより人間以外の、例えば動物の形をしていたタイプが多くあったとされています。いわゆるアニミズムです。「神」と「自然」はさほど明確には分かれていませんでした。
神の容態は人間集団を取り巻く外部環境(自然)の影響を受けて変容していきました。古代ギリシャの神々が擬人的、いわば人間臭い神であるのは、温暖な気候で厳しさの少ない自然環境であることとおそらく無縁ではないでしょう。中世ヨーロッパでも人をモデルにした神は受け継がれ、人々の生活や人生に宗教が強く影響を与えるようになります。たとえば、礼拝堂は布教活動の拠点であるとともに人々の信仰の場です。旧ローマ帝国内には中世初期にすでに教会組織が確立していました。管轄する領域を持ち、組織を運営する聖職者には司教、司祭、助祭、副助祭、侍祭といった位階制が存在していました。
人々は、各教区におかれた教会で洗礼を受け、戦争に負けて併合された民族も改宗させられ、生活習慣もキリスト教化していきました。異教はこれほどまで確立した組織を有していなかったので、キリスト教化の波に受け身であったようです。出産するとまず幼児洗礼を受け、名を授けられます。一夫一婦制で解消不能な結婚生活を送り、死後はキリスト教に沿った葬儀が行われました。