国家の進化プロセス

古代文明の要件

古代の文明が成立するためにはいくつかの条件があります。第一に、生産者から権力者への食料の移転がなされていることです。移転がなされるためには余剰が必要ですが、これは農耕技術の発達によって実現しました。第二に、一定程度、交通網が整備されていることです。古代帝国には最適サイズがありました。首都から行軍しておおむね90日間を要する地点を境として、それより先への遠征は危険であったと言われています(主に食糧補給の事情によるものです。)。
したがって、巨大になりすぎた帝国は脆いです。軍隊の限界は輸送と補給であり、交通網が支える面が大きかったのです。

新しい文明は「辺境」から生まれる

少し、古代文明の成立事情を概観してみましょう。
まず、メソポタミア文明(開放系の文明)についてです。統一国家の誕生はシュメール人ではなく、セム語族によるものでした。各都市国家を征服し、食料や物資を確保し、当時の当該地域では大規模と言える5,400人もの軍隊を組織化しましたが、なんといっても強力な弓などの新しい武器の使用が勝敗を決めました。しかし、山岳民族に滅ぼされてしまいます。
古代ギリシャ文明が近隣の蛮族を文明化させ古代ローマが誕生したように、あるいは古代ローマ帝国の文明が周辺の蛮族を文明化させ大移動をもたらし、今日のヨーロッパを生み出したように、新しい文明は「辺境」から生まれます。メソポタミア文明発達の余波は周辺に新たな王国を誕生させ、様々な民族が台頭し、結果、ウルの陥落につながりました
古バビロニア帝国はハムラビ法典で有名ですが、法による統治を行わざるをえなかったのは、親族の絆や村長による支配では統御できない段階に達していたためと思われます。定住化が生み出す固定的な人間関係の軋轢を、「ルール」を作り出すことで解消しようとした初期のケースと言えます。

なお、エジプト文明はやや異質です。ピラミッドなどの巨大建造物やミイラなどに代表されるとおり、死後の世界に英知が寄せられ、他の古代文明と比べると生活水準の向上への寄与は少なかったです。このことが、エジプト文明の所産がその後の文明にはつながらなかった原因と考える歴史学者もいます。それでも長期間続いたのは、変化が緩慢だったからか、外界が砂漠で遮断されていたからでしょうか。一般に余剰が文明を次のステップに移らせるのですが、エジプトの場合は、“現世の余剰”、すなわち生活を豊かにするための知恵を十分に蓄積しなかったので引き継ぐものも少なかったとも解釈できます。