国家の賞味期限
国家機能の制度疲労
現代に入り、国家の役割や位置付けはさらに変化してきています。その一つは企業と国家の関係です。経済がグローバル化している今日では、国内企業が利益を出しても、従業員の賃金が上がるとは限りません。企業としては成長が見込める海外に投資する可能性があるためです。社員の賃金が増えなければ国内消費は冷え込みますから、ますます国内は企業にとって魅力ある市場でなくなり、負のループに入っています。
グローバル化が進展し、財の移動が国境の影響をあまり受けなくなると、「多国籍企業」が経済活動の主役に躍り出ます。このような企業の台頭は、企業と国家との力関係を変質させつつあります。例えば一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏は、グーグルの利益は為替や金利の影響を受けず、アメリカの経済政策過程に影響を与えたという話は聞いたことがないと述べています。
ただし、企業が力を持ち、国家の脅威になると国家のガバナンスが問われますので、独占禁止法の疑いをかけたり、租税回避地を活用した税逃れに対して注意深くなります。
それでも、経済活動に境界はないので、常に国の枠組みを超えて企業はその力を発揮し続けるでしょう。
民主主義の課題
企業活動が私たちの消費生活を支えていることを踏まえると、グローバル経済化の行き着く先には、国民生活面における国家の役割や位置づけの低下が待ち構えていると予想されます。
一方、たとえば社会経済環境の複雑化を背景に、「政治」は明確な方向性を見出しにくくなっています。経済政策に関するスタンスとしては自由競争を重視するのか、産業振興などの国の関与を重視するのか、社会保障政策としては自助努力を重視するのか、手厚い支援を重視するのか、エネルギー政策としては原発を容認するのか、新エネルギーを重視するのかなど、各種の政策領域において多様な選択オプションが考えられ、また、それぞれの選択肢も必ずしも0か1ではなく、その中間的な選択肢がある場合もあります。
民主主義という統治スタイルは人類が今日までに見出したものの中で最善と思われますが、高齢層の発言力が増し、世代間で利害が異なる社会課題に対しては適切な対応を講じにくくなる「シルバー民主主義」の出現など、問題がないわけではありません。また、政党政治の仕組みは制度疲労を生じているように思います。単純な政策の方向性の違いであれば意味がありますが、右か左か、白か黒か、行うか行わないかといった単純な選択が取れない状況が出てくる中で、また、同じ政党の中にも正反対とも取れる立場の議員がおり、政党としてのまとまりがなくなりつつある中で、たとえ政党を選択しても有権者が望んだ政策は実行されません。
近代が作り出した国家のかたちにはもしかすると賞味期限があるのかもしれません。