ピラミッドのような巨大建造物が作られた理由

宗教施設と灌漑施設の根は同じ

文明誕生初期のケースとしてはメソポタミア文明やエジプト文明などのいわゆる四大文明が代表的です。これらの文明に共通しているのは神の崇拝や宗教的理念にまつわる建造物の建設です。灌漑水路や堤防を築いて灌漑地を広げる行為と、日常生活に役の立たない宗教的施設の建設では、現代の我々からみれば全く異なるものですが、当時の人々から見れば、同じ範疇の行為として受け取っていた可能性があります。このことについて考えるにあたり、神の存在や宗教が、我々人類にとってどのような意味を持つのかを考えてみたいと思います。

人が大自然の中に身を置いていた古代には、人は小さな存在であり、大自然は「恵み」でありながらも「脅威」でもあるという二面性を持っていました。突然訪れる自然災害、動物による農作物の被害などは人間生活を脅かす厄介な代物であったに違いありません。この「自然=外部環境」がもたらす生活上の不安に対応するために人類が考え付いた方法は二つです。その一つは土地の改良です。ナイル川の治水、灌漑に代表されるように、人類は土木技術を身につけ、高めることで、自然のきまぐれがもたらす被害を最小限に抑えつつ、収穫量を増やすことに成功しました。
もう一つが、呪術的な方法で自然の猛威をなだめ、人間への害を低減する方法です。これが「宗教」の起こりであったと考えられます。

原始宗教から一神教へ

例えばシュメール人は神々をなだめ、神への服従を示すために、手の込んだ儀式を執り行いました。時折、脅威をもたらす自然環境に取り巻かれて生活していたため、メソポタミアの人々は何かに守られているという安心感が欲しくなり「神」という存在を考え出したと推察されます。古代人の原初の神がどのようなものであったのかを知ることは難しいですが、自然と神がまだ概念として未分離の状態では、神は人の姿をもつのでなく、かつ、一者はなく複数のケースの方が多かったと伺えます。すべてのものに精霊が宿る、という「アニミズム」の考え方の原点はここにあるような気がします。
時代が過ぎ、神を奉る巨大建造物(パルテノン神殿など)や、神の代理人である統治者を奉る巨大建造物(ピラミッドなど)が作られるようになる頃には、神と自然が明確に分離し、自然を統御する灌漑施設と神を讃える宗教施設は別のものとして認知されるようになりました。