交換手段としての貨幣の暴走の始まり

「雇用者」も「法人」も貨幣循環を円滑化させるためのツール

雇用者を生み出す貨幣循環と法人を生み出す貨幣循環は、相補的に「貨幣を得る」行為を強化する働きを持ちます。因果関係で言えば、貨幣を得るために、商品を売る⇒商品を売るために、商品を作る⇒商品を作るために、製品と労働力を得る⇒製品と労働力を得るために貨幣を得る、というように、整合的な関係を持っています。一方、生活を成り立たせるために貨幣を使用する循環は、若干因果関係が弱い回路です。

確かに、原因⇒結果の流れで見れば、貨幣を得る⇒(その結果)支払う⇒(その結果)商品を得る⇒(その結果)都市生活を送る⇒(その結果)商品がなくなる(ないし消耗する)⇒(その結果)都市生活に支障が生じる⇒貨幣を得る⇒(その結果)支払う⇒(その結果)商品を得る…というように、別段不整合はありませんが、目的⇒手段の流れで見れば、次のようになります。

都市生活を送る⇒(そのために)商品を得る⇒(そのために)支払う⇒(そのために)貨幣を得る⇒(そのために)商品を売る⇒(そのために)商品を加工する⇒(そのために)商品を得る、という流れはよいのですが、「商品を得るために都市生活に支障が出る」わけではないし、「都市生活に支障が出るために商品がなくなる(または消耗する)」わけでもありません。

 資本主義の誕生

つまり、生活を維持するために貨幣を得るという回路は、人間が生きていくためには基本的かつ重要な回路ですが、「貨幣を得る」行為を存在させたり、強化させるためには必ずしも本質的なループではないように思います。むしろ、都市生活を送るために商品を調達することで、商品を作るために必要な貨幣が少なくなってしまい、商品として売ることで得る貨幣の量が少なくなるという意味では、むしろお金の循環にとっては望ましくないとも言えます。

結びつきが弱いループは生き残りにくいため、この「個人事業主」を成り立たせる回路は縮小する方向で進化することとなりました。その結果、「法人」の回路は強化されます。「法人回路」は擬似的な「人」であるため、自らが生活を維持するために貨幣を使用する必要のない構造を有しています。どちらが貨幣にとって都合が良いかを人(自然人)と法人を比べたとき、自家消費を行わず、次の生産につなげる消費に貨幣の多くをつぎこむ法人回路の方に軍配が上がります。そこで、個人事業主よりも、法人の活動の方が活発化するようになると解釈できます。

ところで、「東インド会社」が17世紀初頭に設立されたことを考えると、法人ができてからすでに400年以上が経ちますが、法人組織が世界経済の中で大きな影響力を持つようになるのは、第2次大戦後に経済のグローバル化が進んでからです。我が国を例にすると、戦後、自営業・家族従業者が減少を続け、会社に勤める就業者、いわゆる雇用者は増加を続けてきました。日本でも他の多くの先進諸国と同様に、個人事業主より法人組織の方が広がりやすい傾向が見られます。

 個人事業主<法人

第二次産業のみならず、個人事業主が中心であった商業やサービス業などの第三次産業においても資本関係への包摂と大経営の展開が進んでいきました。循環する貨幣の言葉を用いれば次のようになります。はじめは個人事業主がその回路の循環を担っていたため、回路循環の過程で得た貨幣の一部は自らの生活を成り立たせるために使用されていました。しかし、次第に、その循環を強化する方向で労働力供給の回路が加わることになります。1970年代前半に誕生したコンビニエンスストアがフランチャイズという方式で、既存の酒屋や米屋などを取り込んで行ったことはこれを象徴した現象と考えます。