「プライスレスな仕事」を創る

シンギュラリティは人から仕事を奪うのか?

シンギュラリティとは技術的特異点を意味する言葉です。カーツワイルは2045年にシンギュラリティが到来すると予測しています。デジタル技術の発達と普及が加速度的に進み、AIと人間との関係が根本から変わるなど、別の文明に移行することを意味します。これ以降の社会経済の姿を、現在のパラダイムに生きる我々は、的確にイメージすることが原理的にできないのです。このような社会を具体的に描くことは難しいかもしれませんが、それでも様々な識者が多様な未来の姿を唱えています。その中で、有力な一つがデジタル技術の発達と生産性の向上が極度に進み、AIなどの力を借りた一握りの人間が人類全体の富を生み出せるようになるというものです。例えば、現在、10人で行っている業務が1人でできるようになれば、9人は仕事をする必要がなくなります。全世界の9割の人は賃金労働(ペイドワーク。従来の就労)から外れることになります。仕事に就けないとお金が得られないので、生活保護などの社会保障の世話にならざるを得ません。そのため、ベーシックインカムによってお金をまんべんなく配る仕組みの導入が真剣に議論され始めています。北欧の国をはじめ、実験的にベーシックインカムを導入している例も見られます。

ベーシックインカムとワークシェアリング

ただし、このような極端な格差社会を生み出さないようにする方法として、ワークシェアリングがあります。一人の人間がペイドワークを行う時間に上限を設定し、ペイドワークを分け合う手です。ペイドワークを分け合う形の社会における政府の役割は、ペイドワーク(従来の就労)とアンペイドワーク(現在でいうところのNPO活動、地域活動、地元のスポーツクラブの指導などの社会的活動)の両立を促す新たな労働政策を推進することになるでしょう。しかし考えてみれば、私たちは、元来働くことと生活を楽しむことを両立する術を身につけていたはずです。定年の存在しない自営業の農家では、歳をとっても身体の自由が利く限り農業を続けているのが一般的でしょう。労働の意味の変化は連続的であり、境界は明確ではないですが、子どもを育てている時期は一家の家計を支えるために農業を、子どもが巣立ち、年金が入るようになってくると、経済面での就労の必要性は薄れ、なぜ働いているのかを問われると「健康のため」と答えるようになります。いわゆる「生きがい農業」です。

プライスレスワークの提唱

雇用者が生まれる前の時代、私たち人類は「働くこと」は単にお金を得るためだけの行為ではなく、自分らしく生きるためのものでもあることを知っていたのです。

このような働き方を「プライスレスワーク」と呼んでみてはどうでしょうか。

「価値がない」ことを意味するのではなく、「お金で価値づけできないワーク」という意味です。プライスレスワークが主業となる時代が到来したら、企業のかたちはどのように変化するのでしょうか。賃金を得ないで仕事を行う形として他に想定されるのは会社の肩書きを活用して、ボランティアとして仕事をするものです。今の常識から見れば、賃金を払わずに働かせるというとんでもない話のように聞こえますが、ペイドワークが稀少になった時代、業務命令でなくあくまで本人の自発的な意思に基づき行うものです。

社員に対し、同社の利益に直結する活動を求めてはいけません。逆に企業はボランティア活動に必要な備品や、活動費を企業は提供します。今日の概念ではCSRの一つと捉えられます。

プライスレスワークを創り出す要素としては、たとえば次のようなものが考えられます。

 

・困っていること、悩んでいること、助けてほしいこと、欲しいものなどを上場するための労働市場

(緊急性、重篤度をAIが評価し指標化、順位づけを行う)

・この市場システムにアクセスし、自分が提供できる、ないし、提供したいワークを検索し、上場相手にコンタクトをとる通信の仕組み

・複数の類似の支援ニーズをまとめてパッケージ化したり、単一の支援ニーズを複数の活動に分割し、自動的に再上場するAIの働き(複数の活動を統括する「社長」役の人も募集。)

・提供する価値、提供期間(単発か一定期間)などをSNS上で合意し、文書化するプログラム

・一定期間ごと(一ヶ月単位など)に受け手が感謝のメッセージ(ある意味で「交換不能な通貨」のようなもの)を贈るルールの徹底と、そのメッセージに、加えて行ったワークの内容と提供者自身の感想コメントをセットで保管するデータベース(個人別のワークログを生成・管理・保管)

・データベースの情報を適切に管理し更新するブロックチェーンの技術

・膨大なデータベースの中からプライスレスワーカー一人ひとりの過去の仕事内容、得ているスキルや能力、強みや指向性をAIが分析し、市場に上場される支援ニーズのうちその人に合ったものをお勧めするアウトリーチ機能

 

プライスレスワークのお礼としての通貨(=感謝のメッセージ)は交換不能であるのがポイントです。交換できてしまうと、通貨がもたらした、生きていくという意味での労働の希薄化と、人と人との関係の非対称性がやはり生じてしまうからです。

報酬は金銭価値に換算できない相手からの感謝の言葉や自分自身の達成感など金額に換算できないもので良いのです。ただ、それらの記録情報はプライスレスワーカーに取って何にも変えられない財産になるでしょう。全国ないし全世界のプライスレスワークデータベースにアクセスし、自分自身が生涯積み重ねた記録情報を閲覧するとき、大きな満足を感じるに違いありません。

アトランタ五輪で銅メダルをとった有森裕子が言った「自分で自分をほめたい」という言葉は、誰かに提供してはいないですが、まさに良い仕事=Good Jobをしたということです。他者への提供価値のないワークであっても、それが終わるたびに感想コメントを残していけば、人生を振り返ったとき、大いに達成感を感じると思われます。他方、他者との関わりを通して行ったワークの蓄積はたくさんの感謝の情報が加わっており、なおさらその人の自尊心を高め、働くことや自分の人生により豊富な価値を見出しうるのではないでしょうか。